松岡正剛「知の編集術」 (講談社現代新書)
われわれの意見が多様なのは、別にもらった理性の分け前が人によって多いから起こるのではなくて、単にみんなの関心の対象がちがっていて、ものの考えかたもまちまちだからなのだ。つまり活発な精神を持つだけでは不十分であって、いちばんだいじな要件というのは、その精神を正しく適用することなのだ。最高の精神は、最高にすぐれた成果を挙げることもできるが、同時にものすごくはずれていってしまうことだって、じゅうぶんに可能だ。そしてとてもゆっくりと旅する者であっても、必ずまっすぐな道をたどるならば、走りはするがまっすぐな道を捨てる者にくらべて、ずっと遠くまで進むことができるだろう。
いきなりデカルト「方法序説」の引用で始めてしまったが、「知の編集術」(以下本書とする)は「方法論に関する本」である。
本書には方法論という言葉は出てこないが、ともかく方法論に関する本である。
つまり、「創造的な思考をするための方法論に関する本」である。
そのためには、先に引用したように、「その精神を正しく適用すること」つまり「方法」が重要であると本書も言う。
キーワードとなるのは、「編集」である。
ここで、「編集とは何か?」という問題が当然発生する。
これは、「編集」という言葉をよく吟味するのが一番わかりやすいと思われる。
編・・・全体の中の一部という意味
集・・・集めるという意味
すなわち「編集」とは、「全体の中から一部を選んでそれを寄せ集めて何かを作る事」である。
編集という言葉は一般的には雑誌や映画やTV番組くらいにしか用いられないが、この本では、編集というものはもっとたくさんの分野にまたがっているという。
というか、世の中のすべての文化には編集が関わっていると言っている。
漫才、法律、料理、ファッション・・・etc.
そして筆者は編集工学というものを提唱している。
編集工学の入り口三つ。(17p)
① 編集は「文化」と「文脈」を大事にする
② 編集は常に「情報の様子」に目をつける
事は「地」と「図」に分けることが出来る。これを私は「情報の模様」と呼んでいる。③ 編集は日々の会話のように「相互共振」をする
情報を相互的に共振させながら内容を好きな方向に進めていくこと、ここが編集の核心である。
例をいえば、「会話」にそれをみることが出来る。サッカーのように、パスを出し合いながらゴールに向かっていくイメージ。
本書は、本文でも触れているが、箇条書きで出したアイデアを膨らませて作られている。
構成にはその名残りが色濃く残っており、実際のところ本書はまとまりに欠けていて散漫という印象が否めない。
また、単語に込められた意味が独特で、文脈をよく読まないと誤読してしまうおそれがある。
流し読みをしただけでは、本書の内容を汲み取ることは難しい思われる。
とはいえ、本書では、「誤読も創造のひとつの源である」とも言っている。
余談だが、窪塚洋介がマルコムX自伝を読んで謎の右傾化を遂げたり、furukatsuが共産党宣言を読んで革命的非モテ同盟*2を作ったりしたのは、そういう「創造的誤読」の産物だと思う。
さて、誤読をしても大丈夫という事が確認されたので(って違うか)、先に引用した文章を検討していくことにする。
と、その前に。
引用した文章の①~③に共通して言える事がある。それは、「対象をよく見て分析しなさい」ということである。
まず先行して存在している事物を分析する。
このことが一番重要である。
まず①であるが、ここでいう「文化」というのは、例えば漫才なら、マクロな視点から見たお笑い全般のことで、漫才のほかにコントとか演劇とかも視野に入れたモノの事だと私は解釈した。また、漫才の歴史や伝統的様式など、あまたの漫才コンビに共通するモノもここに含まれる。
「文脈」はもうすこしミクロな視点で見たときに認識されるもので、たとえば漫才なら、しゃべくりで行くのか(ブラックマヨネーズ)、コントで行くのか(アンタッチャブル)、ツッコミとボケは固定(フットボールアワー)するのか入れ替わる(笑い飯)のか、そもそもツッコミとボケを決めない(POISON GIRL BAND)のか、男男でいくのか、男女でいくのか、女女でいくのか、とかそういう各論めいたものだと理解した。
②は、「地」と「図」という用語が分かりにくいが、漫才のたとえを続けるなら、「地」が上演時間とか漫才のスタイルで、「図」がネタのことである。分けて考える事が創造の近道だというわけである。
奇しくもデカルト先生も「難問は分割せよ」といっているし。*3
③は、漫才なら二人でアイデアを出しながら、実際に会話をしながら作り上げていくイメージかな。
別の例を一つ挙げる。
反広告社というものがある。
まず反広告社のデザインは世に流布する広告の「文脈」を読み、それに「反抗する」という態度で成り立っている。
文脈を捉える事ができれば、次はそれを裏返せば良いだけなので、広告の方向性も自然と定まる。
アンチ資本主義から結果するアンチ電通、アンチコカ・コーラ、アンチディズニー、アンチユニクロ・・・etc.
話を具体的にしたいのでこの広告を例にとる。
この広告は
① リクナビへの皮肉
② 厳しい就職活動という時事ネタ
③ 受難するキリストの絵
④ 「祈られすぎて神になる」というネット上のギャグ
から成り立っている。
異なる文脈からパーツを取り出してきて、ひとつのものを作りあげているという点で、きわめて編集的といえる。リクナビのロゴを載せることで、この広告の文脈をわかりやすく説明することに成功している。もし、リクナビのロゴが無かったなら、かなりわかりにくい広告になっていただろう。
長くなったのでここからは駆け足で行く。
本書には他にも、「子供の遊びに見る編集のメカニズム」とか、「要約にみる編集のメカニズム」とか、映画や漫画の分析をしているが、まとめると以下のような事を言っている。
世の中の文化すべては、「全体の中から一部を選んでそれを寄せ集めて何かを作る事」で成り立っており、創造の際に重要なのは、「全体の中から何をどう選ぶか」であり、そこで要求されるのは「対象をよく見て分析する事」であり、「センス」を働かせて方向性を導き、作品を作り上げる。
これをよく頭に入れておけば、創造のヒントになると思う。
- 作者: 松岡正剛
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2000/01/20
- メディア: 新書
- 購入: 8人 クリック: 134回
- この商品を含むブログ (99件) を見る