壺中天日乗

メモ帳

「お前が言うな」について

「お前が言うな」的状況は、よく考えれば、発言内容が妥当であれば、相手が誰であろうと、冷静に自己検討すればいいだけの話であり、またその方が自分のためになるのだが、実際にはなかなかそう出来ないわけで、その理由は、解剖学的に見て、脳は「感情の部分」と「論理的に考える部分」が別々に存在しており、感情の部分のほうが先に反応してしまうからである。
人間というのはなかなか難儀な生き物である・・・


参考

養老孟司 さっきも言ったように、良し悪しの判断は、脳の中でも言語とは違う部分に入ってしまうんです。我々の脳は、簡単に言ってしまえば、大きく表面に出ている新皮質と、その周りにある辺縁系という古い部分からできていて。視覚、聴覚、触覚というのは、すべて新皮質に入るわけです。そこで言語という機能が生まれる。一方、味覚や聴覚の約半分、また善悪の判断とか感情というのは辺縁系の機能なんです。


――ちょっ、ちょっと待ってください。つまり、善悪の判断は言語的でない、ということですか?言語にならないということは、論理的でないということになってしまうと思いますが・・・・・・。


養老孟司 そうですよ。論理的でない。だから、あなたが悪いと思っていることを僕がすれば、あなたは怒るでしょう。必ず感情が伴う。怒る理由をいろいろ言うけども、それはあとからくっつけた理屈でね。はっと気がついたら怒ってるわけです。こういうのは辺縁系の機能です。動物でいえば、獲物を見て「食えるか食えないか」を判断しているのと同じ部分ですよ。社会的な善悪といったって、その程度のものです。*1

*1:ビートたけし「ザ・知的漫才 結局わかりませんでした (集英社文庫) 」p68-69