壺中天日乗

メモ帳

芸術作品の贋作騒動について

芸術作品の贋作騒動を見るたびに芸術とは何かと考える。芸術作品の値段が作者や鑑定書で決まるのなら、芸術作品の値段は作品それ自体ではなく、かなりの割合が権威由来であると考えざるを得ない。
はっきりいってこれは胡散臭すぎるし、アホラシイとすら思う。
そもそも値段を付けられるものなのか?とも考えてしまう。
芸術作品と芸術作品の値段には本来何の関係もなくて、たまたま経済と芸術がぶつかったところで生まれてしまった事故の産物なんじゃないか…
哲学批判が哲学以上に哲学的であるという意味で、贋作騒動は芸術以上に芸術的なのではないだろうか。

追記
芸術作品に人間が感じる迫力というか力は、ベンヤミンいうところの「アウラ」というものだろうか。そこで問題になってくるのは一回性と歴史的想像力か。これは敷衍すると人生観にも関わってくるな。なんだかわからなくなってきたが、じっくり考えてみる価値はありそうだ。