壺中天日乗

メモ帳

吉行淳之介『暗室』(講談社文庫)

11月28日(金)晴れのち曇り

地下室の手記』を読み始める。最初は面白いが途中からなんかノれなくなり、中断。『暗室』を読み始める。面白い。まず書き出しがよい。こんなさりげない書き出し初めて見た。エッセイで培った散文力(こんな言葉ないけど思わず「散文力」という言葉を作って使いたくなるくらい文章の展開が自由を感じさせる)で自由闊達な文学空間を実現している。(文学空間て言葉はブランショの本で知って、あんまピンとこねえなあと思っていたが、この小説を読んだらこの言葉の意味がわかった気がした)。老いの雰囲気が濃厚なのもよい。暗いんだけどカラッとしてて、本を閉じた後妙な爽快感がある。これからどうなるか楽しみ。

11月29日(土)曇り

昨日の文章を読み返す。「妙な爽快感」という言葉に違和感を覚える。なんだよ妙な爽快感って。何もいってないのに等しいじゃないか。こんな言葉は駄目だ。カラッとしているのはそうだが、風通しがいいんだ。スカスカなんだ。でもそれは意図したスカスカだ。ネガティブな意味じゃない。人生という片道を振り返ったとき、スカスカだなあと思ったことはないだろうか。僕はある。みんなも多かれ少なかれあるのではないだろうか(それは事実そうだったのかは不明で、記憶の問題もある。そのときの精神状態の都合もある。また、皆が皆そんな印象を抱いている場合もある。いずれにせよ自分の人生が本当にスカスカだったのかは簡単にはいえないと思う)。一人の人間の人生を総体的にかつその印象も含めて表現しようとしたとき、スカスカという手法が選択されたのだ。

11月30日(日)晴れのち雨

雨が降るとは思わなかった。それくらい午前中はいい天気だった。天気予報はあんまりチェックしないのだが(当たらないことも多いし)、たまに見ておかないせいで困ることがある。やはりチェックはしたほうがいいのだろう。
『暗室』読了。最後のほうは性描写が多かった。死の影も濃かった。冷や冷やした。この小説は空白で魅せる小説なのだと思った。アマゾンのレビューで、「居なくなった登場人物のその後が描かれていなくて残念」という意見があったが、作者はあえて描かなかったのだと思う。てか描いたら台無しだよ。それにしても不思議な小説だな。普通は小説に生じた空白って、なんとかして(例えば象徴的なエピソードを置くとか後日談を挿入するとか噂話として登場人物に語らせるとかして)埋めるものだと思うんだけど、あえて空白だらけにしている。小説(物語)の弱点を逆手に取っている。とりあえず今後の展望はなく、高確率で空白が発生しそうである未来は性で塗りつぶされる。距離を置いて眺めるとその様相は、ほとんど影絵に似ているだろう。過去を忘れて未来を見ようとするが、未来はない(昔読んだ雑誌である娼婦の口から出た「ついでに生きている」という言葉がいつも主人公の胸の内にある)。子供も居ない。正確には居るかもしれないが、目の前には居ない(「妊娠した」「あたしが勝手に育てるから、安心して」と電話で語り渡米したマキ。その後の音沙汰はない。本当に妊娠したかも、真相は藪の中。この挿話なんて空白を意図的に作り出しているとさえいえる)。あるのは暗い部屋だけ。死の色だけ(生殖を伴わない、死としての性)。その色に浸らなきゃ駄目なんだろうな。でもあんまり元気は出ないな…。
なんで空白だらけのまま完成品にしたかというと、<人生とはこのようなものだ>という確信が作者にあったのだろう。そしてそれは正しかったと思う。だから受け入れられたわけだし。あと文章は相当うまい。さりげない技巧が随所にある。

追記
てか44歳の作家が性におぼれるかね?性ってそんなに深いかな。追求する価値そこまであるかな。(主人公は変態プレイとかしてどうにかして快感を得ようとしてるけど、断末魔って感じ。すぐ飽きてるし。とはいえ飽きてるところまで描かれてるのは面白い)。深いようで浅い気がする。あれよ、古井戸で水はなくて真っ暗で底は見えないけどためしに石投げ込んでみたらすぐ音がして意外と浅かったりするやん。昔墓地で見たことある。性ってそういうイメージなんだけど。そんなんだから今までの人生空白が多いんじゃないの、っていいたくなる(いや偉そうなこといえないんだけど)。座禅とかしたほうがいいのでは。もしくは仕事で頑張るとか。

暗室 (講談社文芸文庫)

暗室 (講談社文芸文庫)