拷問者の精神生活
ハロルド・ピンター「何も起こりはしなかった ―劇の言葉、政治の言葉」 (集英社新書)に載っていた、以下の文章について考えてみる。
拷問者が音楽好きで自分の子供たちには非常にやさしい人間だという事実は、二十世紀の歴史を通じて明白に証明されてきました。このことは、私たちの社会生活と政治生活を支えている心理のあり方についての、最も複雑な問題のひとつです。私自身は、この問題について答を出すことはできません。ただ問題を提示するだけです。(p157)
■二重人格的な生活が何故行えるかという点について。
① 仕事とプライベートを峻別するのは美徳という考えが一般常識だからだと思う。世界中でこの美徳が当てはまるのかはよくわからないが、おそらくすべての先進国は当てはまるのではないだろうか。
② 組織に属している人間が、拷問担当者の辞令を受けて拒否することは難しいと思う。よほど高潔な人間ならまだしも、お金がないと生きていけない人がいる限り、辞令を受け、拷問を担当する人は存在し続けるだろう。仮にお金がなくても生きていける世の中になっても、全人類が道徳的にならない限り、拷問者は存在するだろう。そして、国家が自分たちに都合の悪い人間を熱心に育成するとは思えない。さしあたっては、拷問を行うような機関を作らないことが現実的だろう。システムを作ると、ほとんどの人間は殺人をしたり拷問をしてしまうことは、歴史的に見て明らかだと思うからである。
■「拷問者は音楽好き」について。
「すべて芸術は絶えず音楽の状態に憧れる。(ウォルター・ペイター)」という言葉がある。音楽は問答無用で聴く人を癒すところがある。
拷問者は拷問で荒廃した心を無意識のうちに癒したいと思い、音楽を聴くのではないだろうか。
■「拷問者は自分の子供たちには非常にやさしい人間だという事実」について。
子供を愛すことで、「自分には人を愛する能力がある」ということを確認したいのだと思う。
そういう意味で、子供を愛すことで、結局は自分を愛しているのだと思う。
何も起こりはしなかった ―劇の言葉、政治の言葉 (集英社新書)
- 作者: ハロルド・ピンター,喜志哲雄
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 新書
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