壺中天日乗

メモ帳

竹熊健太郎『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)

石川文康『カント入門』を読んでいるのだが進まない。1回読んで分からなくて3回読んだら分かったような気になって、さらにもう1回読んだらまた分からなくなる…という過程を経ていま79ページ。めんどくさい…こんな亀より遅いペース(亀って実際見ると結構速いんだよな)で読了できるのか…?読了した頃には最初のほう忘れてるんじゃないのか?(一応まとめながら読んでるが)しかもこれヘーゲルとか養老孟司とか読み返さないと理解深まらないっぽいから終わったらそれも読み返さないとあかん…等と思いながら『万延元年のフットボール』(異様な日本語だ)に寄り道しつつ、年末気分もあいまって?本書『私とハルマゲドン』を手に取った。面白くて一気に読んでしまった。

本書を一言でいうと、「個人と社会との関係性をサブカル・オウム・個人史を引き合いに出しつつ考える」ということになるだろうか。個人と社会についての分析とも読めるし、オタク文化論とも読める。自伝とも読めるし、オウム論とも読める。解説では作者のいう「大晦日の論理」(目的の実現より目的を追い求める過程が楽しいのだという考え方)を引き合いに出しつつ、自由とは何かについて書いていた。

この本はどっちかっていうと散漫で、単一の主題に収斂していくというよりいろんな主題に向かって拡散していくという書き方になっている。それはそれでいい。読者は本の中を思い思いに歩きまわればいいわけである。
さてどう書こうか。個人と社会について書くとしたら作者の考えを再提示するはめになって長くなりそうでめんどくさいがそれが一番面白い主題だと思うので困った。しょうがないからできるだけ簡単に書く。

現代は大人にならなくてもいい時代である。理由は豊かだからである。しかし子供は大人にならなければならない運命にある。そこに悲劇がある。今の子供は否応なくジレンマに直面する。ひもじい時代はそうではなかった。子供のままという選択肢はハナから存在しなかった。生きていけないからである。食えなくなるからである。今はそうではない。しかし学校で、家庭で、子供は大人になるように強いられる。子供は嫌がる。なにしろ目の前の大人がみんな幸せそうじゃないからである。お前らみたいになりたくねーよ。
「じゃあどうなりたいんだよ?」
「いや、まあ、それはお前らとは別の何者かになりたいんだよ!」
「でもお前俺に食わせてもらってるじゃん。説得力ないよそれ。」
「…」
という感じで子供は日々くすぶることになる。そこでここではないどこか別の世界を想像することになる。そこでサブカル、特にオカルト・神秘主義思想が魅力を持って迫ってくる。これらは世界観であり、つまり別世界であるだけでなくこの生きづらくて分かりにくてクソな世界に正解を与えてくれる。しかも分かりやすい。
そこでオウムが出てくる。オウムとは「お前らとは別の何者かになりたい」と考えた子供達の成れの果てである…
以上。

神秘主義思想が何かワクワクするのは私も同意見である。荒俣宏とか種村季弘とか好きだし。鈴木大拙の禅の本も面白く読んだ。
しかし最近は神秘主義思想に関しては違和感を感じている。以前書いたことがあるのだが、外で一日遊んだり、肉体労働をしていると世界と自分の体調がシンクロし、たとえば夕方ふと立ち止まると涼しい一陣の風が顔を撫ぜ急に眠くなったりすることがある。振り返ると美しい夕焼け。そういうときに「ああ俺は自然の一部なんだなあ…」と考えうっとりし、今日はよく眠れそうだ、そういえばお腹もすいたし美味しい晩御飯も食べられそうだ…そうだ世界は俺で、俺は世界だったのだな…などと思ったりする。確かに考えてみれば人体(タンパク質)は地球の一部から構成されているわけで、地球の一部なのは間違いない。だから自然の一部云々は間違ってはいない。こういう考えを推し進めれば神秘主義思想になるのだろう。しかしこれはちょっと単純ではないだろうか。要は言葉に出来ない「何か」を表現しようとして宇宙とか自然とかいってるだけではないだろうか。どうも安易な気がしてならない。宇宙やら自然やらは便利な言葉だとは思うが、それを簡単に使いすぎているような気がする。しかもそういう言葉は曖昧な分だけ他人に届きやすいから、便利でもある。勝手に相手が自分なりの解釈で理解してくれるから反論されることもない。しかしそれでいいのだろうか?どうもこういう言葉はあまり使うべきではないという気がしてならない。感覚に対する言語の敗北ではないだろうか。

えーと、神秘主義思想について思うことをだらだら書いてしまった。
もうちょっと書く。神秘主義思想になじめない人は哲学とか文学とか社会学とか心理学にいくのだろう。一昔前なら学生運動アンガージュマンしたのだろう。もしくはいっそ自然科学、機械系、プログラムとか。
私の場合は哲学とか文学だった。神秘主義思想も大脳生理学とか宗教学を勉強したほうが系統立てて理解できるんじゃないだろうか。
まあ大麻やらLSDで感覚をじかに刺激されたらそうもいってられなくなるのかも知れないけど。

麻原の弁論術について分析しているところが面白かった。弱点をさらけ出し、開き直るという戦法である。
以下はカルマについての説明を終えたあとのやりとりである。

「すると麻原さんは、たとえば被差別部落民も、前世のカルマだというのか?」
スタジオ中が固唾を呑んで麻原の返答を待った。一瞬考えてから、彼はいった。
「そういうこともあるでしょうね」
「あんた、自分がなにをいっているかわかってるのか?」
しばらくたってから、麻原が答えた。
「たとえば、私は目が見えません。こういうふうに生まれついたのも、前世のカルマのためです」
(p105)

麻原のもつ弱みは「狂気」「視覚障碍」であるが、これら――特に「視覚障碍」――は健常者はたとえ差別的文脈ではない場合においても、指摘しにくい点である。「狂気」は自称「精神病」としてモラルを刺激する言葉に変換され投げ返される。これらは当事者が使うときのみ許されている。そしてそれを言論の場で表出した場合、両者の間に決定的な優位と劣位の差が生まれるのである。もちろん優位に立つのは当事者である。麻原はそれをうまく利用し、自分のペースに持ち込むのである。

ナンシー関飯島愛について「TV番組という舞台において、AVについて言及してはいけないという雰囲気を作ったのが彼女の勝因なのだ。彼女が生い立ちについて語るとき、他の出演者は黙って聞かざるを得ない」というようなことをいっていたと記憶するが、両者には共通するものがあると思った。「相手に沈黙を要求すること。」これがTVによる(TV以外でもかな)討論において絶対的に大事なのだ。両者はそれに成功している。モラルを操り味方につけているといってもいい。(なんだか嫌な感じもするが…)実際のディベートはもっと感じのいいものだと思いたい。(あと飯島愛は別に悪意とかはなかったと思うことを付け加えておく。彼女なりの生存戦略だったのだろう。彼女は頭が良かった。)

他にもいろいろ面白いところがある。「屈折したインテリ(オタク)は現実生活に不満を持ってはいるがそれを改革するように動くほどの度胸がない。その現実に適応している自分が馬鹿だと思っている人たちに馬鹿にされるのが怖いからである。そういう人々が実際に現実を変えようと動いている麻原に惹かれたのだ」「いじめられっこが実行する自殺と他殺は実は『他者存在の絶対否定』という点で表裏一体である」などが興味深かった。上でも書いたが本書はいろんな内容を含んでおり、それがあまりまとまっていないところに特徴がある(と、いえばいえる)。再読すればまた違った一面が見られそうで今から楽しみである。読むたびに別のアイデアを取り出せるのは再読の醍醐味であるし、そういう本が私は面白い本だと思っている。

あとはXとの対話が良かったなあ。Xは作者の友達で、昔は作者に大麻のスバラシサを散々ふかしまくった人物である。その後いろいろあって縁を切るのだが、15年後に再会してみると、Xは過去の自分を相対化している。
「大麻には害がある(ボケやすくなる)」「ジャンキーは年を取るにつれて輝きを失っていく」など経験者ならではの言葉が興味深い。(ボケやすくなるという点ではアルコールも危険だと思うけど)
以下のやりとりには結構救われる人もいるんじゃないだろうか。

T 僕もそう思う。失敗してもいいんだよ。そんな最初からうまくいくわけないんだから。おれもいまから振り返ると、「失敗した」と思うことでも、結果的にはなんらかの勉強になってるんだよね。思い出すと恥ずかしいけど、トータルでは無駄になっていない。
X 僕も高校時代に『宝島』とか読んでて、でもあれはあくまでも紙の上の話じゃない。それで夢とか憧れを膨らましてもさ、現実には親に食わしてもらってるわけで、こう、偉そうなこといってる自分が何かこう、嘘臭く見えちゃった気がして……。それでもなんか、ほんとなんか「窓ガラスの向こうの世界」に本当に行ってさ、肌で触れて……いろんなものを体験したい、五感で味わいたいっていう欲望っていうのかな。それはすごく健全なんだよね。で、食えないとかなんだかんだいっても「なんとかなる」って思っていわけ。
T そうそう。
X これはやってみないとわからないことなんだよね。
(p271)

まったく。生きるのも楽じゃない。壊れて欲しくないものは壊れるし、放射能汚染は続いてるっぽいし、生きづらさはとまらない。完全自殺マニュアルの冒頭でいわれていた「デカイ一発」は来てしまった。でも生きるしかないよなとりあえず。
今年ももうすぐ終わるけど、来年はいい年にしたいですね。と、唐突なまとめwで終わることにする。
来年もよろしく!

私とハルマゲドン (ちくま文庫)

私とハルマゲドン (ちくま文庫)